昨日、今日と
秋晴れのいいお天気が続き
今週末は久々にいいお天気に
恵まれそうな天気予報の
nana地方です
毎朝のNicoleの散歩も
肌寒いくらいで
半袖ではひんやり。。。
なのに日中は暑いので
羽織るものが必要な毎日やな~
だんだん日が暮れるのも早くなり
夜が長くなりつつありますな~
そんな時は少し
自分時間も長くなり
ふと何か思いにふけることもあったり。。。
先日見ていたドラマの朝顔。。。
ふと自分の時のこと
振り返ってみた
まずは
パパさんのお父さんの時のこと
パパさんのお父さんが亡くなったのは
2008年9月26日の事
その頃もいい嫁ではなく
パパさんの両親が訪ねてくるのを
あまりいい顔できない嫁でした
(いつも突然来るんですよ・・・
連絡があるのはあと何分で着く
とかの連絡で・・・)
お父さんは1991年だったと思うんだけど
クモ膜下出血を起こし
生死の境をさまよいつつも
生還しリハビリも頑張り
以前と変わらぬ状態で
生活できるようになっていました
また脳内出血を起こしたら
次は難しいといわれていたようです
2008年当時
nanaは物流倉庫で
パート職員として
勤務していました。
物流倉庫の中は
エアコンもなく
たまに火災報知器がなるぐらい
喚起していてもかなりの暑さ・・・
若いころから販売・接客等・体を動かして
仕事してきたんだけど
もう限界かもと思っていた矢先
たまたま事務職員さんが辞めて
事務に移る?と聞かれ
希望して事務に移動・・・
事務所の空調環境は良くて
すごいやすい環境の中でしたが
不慣れな事務職に戸惑い
何度も聞くので
先輩職員には面倒がられ・・・
「これコピーしといて」
と言われて1枚づつコピーしていると
ソート機能とか
いろんな機能知らないから
「そんなこともできないの?」
と馬鹿にされ
面倒臭いと言わんばかりの
返答に打ちひしがれ
確認せずにした仕事が
間違っていて
更に何も聞けなくなる
負のスパイラルに入っていた時だったかな。。。
仕事から帰って
当時2歳の息子を
保育所に迎えに行く前に
一旦家に帰っていた時
チャイムが鳴った
「ピンポーン」
出てみると
パパさんのお父さん。。。
お父さん:「〇〇は?」
nana:「まだ保育所迎えに
行ってないからいてないよ」
(うっとおしそうに言う)
お父さん:「そうか、会いたかったな~、
ミニカーこうてきてん、わたしといたって」
駄菓子屋さんで売ってる
1枚の台紙に
たくさんのミニカーが
パウチされて
何台もくっついてるものを
問屋さんに行ったから
買ってきてくれてみたいでした
お父さんにとっては
nanaの息子は
6人目の孫になります
孫の中でも
かなり年が離れていたので
何かと変わったものを見つけると
買ってきて持ってきてくれてました。
それなのに追い返すように
扉を閉めて・・・
後味悪いとは思いつつも
優しくなれなかった
そして数日後
お父さんが倒れたと、、、、
二度目のくも膜下出血でした
出来る限り
パパさんと息子と一緒に
病院へ行きました
息子はICUには入れないので
息子の声を録音して
耳元で聞かせたりしました。
でも思いは通じず
2008年9月26日永眠されました
お父さんの時には
介護ということでは
なかったんだけど
親っていつまでもいてる気がして
些細なことに
うっとおしがって
人への思いやりとか
根本なところが欠落していたな
未熟だったと思ってます
せめてあの時一緒に
「今から一緒にむかえにいこか?」
と言っていたら・・・
孫の喜ぶ姿を見れていたのに
と未だに後悔してますが
後悔しても戻せるわけではなく
倒れてから、長く入院生活が
続いたわけではなく
パパさんが仕事から帰ったら
一緒に病院へ行ってというぐらいしか
出来ませんでしたが
あまり気持ちの整理も出来ぬまま
逝ってしまいました。
亡くなった翌日がお通夜
お通夜の日に
息子の保育所は運動会でした
親族みんなが
「お遊戯とかも練習してたやろうし
お通夜やし夕方からやし、運動会は行っておいで」
と言ってくれたので
息子の運動会は
近くできっと
お父さんも
見てくれていたんじゃないかな?
と思っています。
せめてあの時に
お父さんに優しさをもって
接することができていたら・・
と思うことは未だにあるけど
もうこれ以上は
後悔したくないともその時に
思ったな~
お父さんがなくなってから
半年後の2009年4月
nanaの母が亡くなりました
このお話はまた今度
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