父の墓参り

nanaの独り言

12/27はnanaの
父親の命日
4年前の今日、
母のところに
旅立っていきました
母と出会えたかどうかは?
わかりませんが、
自己中心的主義の
父親だったため、
常日頃から母の
父に対する嫌味は
「お母ちゃんの復讐は
お父ちゃんより早く死ぬこと」
っていう過激な発言が
繰り返されてたので、
避けられてそうですけども。。。

 

ここでnanaの独り言
父親のご紹介( ´艸`)
第二次世界大戦の
終戦する一年前の
昭和19年8月14日に生まれた
nanaの父親
1歳の誕生日に
終戦となり、
播州生まれの父親が
(nanaのおじいちゃん)
創設した糊や蒟蒻を
製造する会社に生まれ、
運動神経がよかったのか
努力したのか?
小西酒造の硬式野球部に
所属する形で
就職したらしい
「俺はノンプロで
野球しとったんや」と
お酒を飲むと話し出すが
成績などは詳しくは知らない(笑)
戦後で今の社会にくらべれば
ものがあふれていた時期
ではなかったと思うが
お金持ちではないが、
2人の姉と兄と弟の
5人兄弟でボンボンと
して大切に育てられた
ご様子、、、
なんでも自分の思い通りに
廻りが動いてくれると
思ってた節もあり
なかなかの自由人でした。

 

お見合い結婚後も
nanaが生まれる前迄は
自分の兄弟と
同じ屋根の下で暮らし
nanaが生まれた年に
兄弟みんなが
生前贈与という形で
父親の土地を譲り受け
一軒家を建てたのだが
nanaの家の両隣は
それぞれ、二人の姉の家
最初の内こそ
3家族の集う場所
子供の遊び場として
塀があるわけでもなく
庭がつながっていて
nanaはよく従妹に
遊んでもらったものである

小西酒造退職後は
父親の会社を
兄弟で支えるべく
専務として
兄弟で働いていたが
母(nanaの祖母)の
亡くなった時
兄弟でひと悶着あり
(この時nanaは
中学2年だったのだが)
父は無職となった

身内で一緒に仕事をする
というのは、結構ややこしい
他人さんに職場で嫌なことが
あっても取り立てて
責めることはしなくても
身内だと、どうしてか
言い方も強くなったりするものだ
いろんなことが重なり
父は無職となり
気づけば長距離トラックの
運転手となった
いつだったか
高校の同級生が
「丹波篠山の会社で
トラックの自社便の
運転手を探してるから
どうだ?」
お声をかけてもらい
篠山の会社での
転職をしたのであった
この時の年齢は
確か40代後半だった
と思います。その後職場に近い方がいいと転居した。
阪神大震災の1年前のことだった

阪神大震災では、
nanaの生家のすぐ近くで
高速道路がポキッと折れ
ウェーブのように
なぎ倒されていた
nanaの高校生時代の
同級生にも
亡くなった人もいた
それから考えれば
1年前に離れて
いたので影響は
それほどなかったようだが
篠山から納品先の
大阪に走るのも
かなりの渋滞で
なかなかしんどかったと
そのころ話していた

そんな父は
友人に恵まれ
いろんな人の
お世話になり
ほんとに
廻りの人に支えて
もらってる
人だなって
いい加減だし
理不尽だし
と子供ながらに
思っていた

母が亡くなってから9年
そのうちの半年は
一人で暮らし
4年はnanaと暮らし
後の4年半は
nanaの姉と暮らし
最後はnanaの
当時勤めていた
クリニックの系列の
サービス付き高齢者住宅に
入所させてもらい
2週間後に旅立った

サ高住
(サービス付き高齢者住宅)
にいれば
私は自由に出入り
させてもらえたから
(系列で働いていたので)
仕事に出勤する前に
父の様子を見に行き
クリニックの
中抜け勤務の時には
空いた時間は
父のところで
ゆっくり話しながら
過ごすことができた
姉の家だと
そうもいかないことが
多々あったのだ
nanaと姉の関係が
うまくいってなかった
のが要因だが、
施設の責任者の方が
院長の身内の方
だったから
話は早く、かなりの
融通を聞いてもらえたので
入所後父を看取る迄
出来る限りの時間を
一緒に過ごせました

なくなる日の朝
仕事前に父の居室を
訪問すると
いつもより気分がよさそうで
「nanaが来ると
暖かい気持ちになる
ふわ~っと暖かくなるねん」
と言ってくれた
照れ臭かった私は
「はいはい」と
言葉少なくかわし
「仕事行ってくるね」
と声をかけ
出勤した
出勤後すぐに
携帯が鳴った
「ん?」と思い
出たものの、父は
「いつもありがとうな」
と言った、
クリニックの受付開始
時間帯だったので
「夕方行くから切るよ」
と愛想もなく
電話を切ってしまった

その日の中抜け時間帯に
父のところには、
自分の体調が優れず
夕方出勤前に
ちらっと顔を見るだけに
なってしまった。
まだまだ、明日も
会えると思って
自分の体調を優先
してしまった。
夜中に
サ高住の
看護師さんからの
電話で目が覚めた
巡回に回ったら
息を引き取って
いたと、、、
急いで支度し
施設に向かった

一人さみしく
逝かせてしまったが、
朝の言葉のおかげで
後悔は半減した
後悔はどういう
状況であっても
看取る側になれば
少しは出るものなので
そこは時間が
解決してくれると
思ってる
(今でも少し思う
ことはあるけど)
そんな、命日の日を前に
昨日親子3人で
墓参りに行ってきた
寒かったが、
天気は悪くなかった

帰りにかつ喜で
お昼ご飯を
息子と私は
かつ重を
美味しかったけど
お腹がはちきれそうでした

父ちゃん 来年も
家族で楽しく過ごせるように
見守っててね

 

 

コメント

error:Content is protected !!